こんばんは皆様、三頌亭です。今日は昔よく見ていた「SF手帖」が出てきたのでこれをネタに一席というわけです(笑)。昔々、三頌亭は小生意気にもSFというのを馬鹿にしきっておりました。曰く「ブルーバックス(通俗科学解説書)に物語をつけたもののどこがいいのか?」。「科学ならマジの科学の方がずっと面白いのではないか?」。「SFは『仮定の文学』だと偉い人はのたまうけれど、それならファンタジーと同じではないか、何故、科学ごかしが必要なのか?」。簡単に言うと、理系の科目が苦手だった人のコンプレックスにすり寄るような売り方が嫌いだったのでしょう。「それなら科学なしでも書けるのではないか?」、「リアリティが欲しければノンフィクション(本物の科学)に行ってくださいよ」と・・・特にハードSFに対する私の印象ははなはだ良くなかったのでした。
まーなんと小生意気なことでしょう(爆)。でも私は未だに大半のSFは科学をガジェットとして使ったファンタジーだと思っております。実証が不可能だったからフィクションとして書かれた「ケプラーの夢」や最新科学のぎりぎりの一線に夢を追加してできた「ジュラシックパーク」などはごくまれな例外で作者の専門分野あっての作品でしょう。それら以外のSF小説の面白さは従来の大衆小説の面白さをもたらす技術によるわけですね。というわけで三頌亭はある時期を経て普通の娯楽小説としてSF作品の多くを読むことができるようになりました。
この手帖はそのころよくハンドブックとして使っていたものです。コンパクトで必要なことしか書いてませんが、テキストを入手するためには重宝いたしました。コラムが埋め草に書いてあってエリソンの万引きの逸話がおもしろいです。写真2枚目に簡単な内容リストが載っていますが、今では到底考えられないのが著者や翻訳家評論家、イラストレーターの住所録です。なんと中井英夫や埴谷雄高まで載っています。
まーなんと小生意気なことでしょう(爆)。でも私は未だに大半のSFは科学をガジェットとして使ったファンタジーだと思っております。実証が不可能だったからフィクションとして書かれた「ケプラーの夢」や最新科学のぎりぎりの一線に夢を追加してできた「ジュラシックパーク」などはごくまれな例外で作者の専門分野あっての作品でしょう。それら以外のSF小説の面白さは従来の大衆小説の面白さをもたらす技術によるわけですね。というわけで三頌亭はある時期を経て普通の娯楽小説としてSF作品の多くを読むことができるようになりました。
この手帖はそのころよくハンドブックとして使っていたものです。コンパクトで必要なことしか書いてませんが、テキストを入手するためには重宝いたしました。コラムが埋め草に書いてあってエリソンの万引きの逸話がおもしろいです。写真2枚目に簡単な内容リストが載っていますが、今では到底考えられないのが著者や翻訳家評論家、イラストレーターの住所録です。なんと中井英夫や埴谷雄高まで載っています。