2006年04月

潮干狩りと彗星

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今日は時期がいいので子供とカミさんを連れて潮干狩りに行ってきました。直ぐそこの浜辺と河口の間くらいの所です。と・・・なんちゅう人数でしょうか?(笑)。結構狭いところへ50人くらいいます。仕方ないので端の方でごそごそ取ってきました(笑)。

うちのカミさんなんかは山の方の育ちなんで、上品に熊手なんか持ってきてるんですな。まっ、素人だから仕方が無いです(笑)。やりなれている人はスコップです。馬鹿でかい工事現場で使うようなスコップを持ってきている猛者の人もいましたが・・・(笑)。最近アサリも粒が小さくなって来ているのが残念でしたが、まあ時期の風物誌ということで経験が大切ですね。

ところで彗星がやってきています。ゴールデンウィーク終盤が見ごろです。シュワスマン・ワハマン第三彗星という舌を噛みそうな名前ですが・・。めずらしいのは彗星核が分裂しておりまして、主に明るいのはB、C、G核らしいです。特にC核は現在ヘラクレス座にありまして、5月10日ごろには「銀河鉄道の夜」で有名な白鳥座のアルビレオと並びます。予測では3等星くらいということだそうで、肉眼でも暗いところならば十分見える明るさです。

これは望遠鏡より低倍率の双眼鏡などの方がテイルなどの全体像を見るのに適しています。写真は上から順番に4月30日、5月5日、5月10日の彗星の夜の12時における位置を示します。興味のある方は詳しくはこちらで・・
http://www.astroarts.co.jp/special/2006schwassmann-wachmann/index-j.shtml

追記:少し見てみました。今日は透明度がもうひとつよくない状態で4等星がぎりぎり見える程度の空です。さすがにフジノンの口径70mm(16x70)で見てみました。うーん、何とかぼんやりしたC核が確認できます。肉眼ではこの状態では無理です。去年の1月のマックホルツ彗星ほどではないですね・・。今のところ。

ロアルド・ダール

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三頌亭店長です。最近、なんとなく棚揃えの傾向が決まりません。ややネタ切れ気味の感はあるのですが、出来るだけバライティに富んだものをというとなかなか難しいです。もともとお店の傾向がニッチな領域のものが多いので余計難しいですね(笑)。

今日はロアルド・ダールの選になります「幽霊物語」を紹介いたします。実はダールは大好きでした。凝ったプロット、ひねりの効いた落ち、ダールの書く短編はどれも素敵に素晴らしいものでした。邦訳は大体読んで、ペーパーバックを辞書を引きながら読んだ憶えがあります。

ダールのプライベートはいかにも強く正しいイギリスの男の子という感じで、これがまた好感度大でした。愛妻家で飛行気乗り、子供のために童話まで書いています。この「幽霊物語」でもダールの性格が顕著に表れていて、数ある「怪奇小説傑作選」のなかでも、この「幽霊物語」は非常にモダンでユニークな地位を占めているといっていいでしょう。

ダール編「幽霊物語」は過去に発表された780篇の幽霊話を事細かに採点し、その中のもっといいもの14篇を傑作選としたものです。本来テレビドラマ用の原作として提供する予定だったそうであります。この「幽霊物語」のためにダールは大英図書館をはじめいろんな図書館から膨大な量の本を借り出して、逐一ノートにメモしていったそうです。そのノートは大判のファイル3冊分にもなったそうですが、テレビドラマの方が企画倒れになったのでこのダール編「幽霊物語」を出版したそうです。大変ユニークなアンソロジーですので、興味のある方に推薦しておきます。

ダール編「幽霊物語」のトップに収録されているのはレスリー・ポール・ハートリーの「W・S」です。ハートリーにはいくつかの怪奇小説集があります。ここでは怪奇小説ではありませんが彼の代表作「恋を覗く少年」をあげておきましょう(たまたま出てきました(笑))。絶版(新潮社:昭和30)なのが残念ですが、大変しっとりした書きっぷりでよろしいです。粗筋だけ言うとつまらないと思うかもしれませんが、そうではないです。

おまけ・・この前ブックオフに行ったら、倉橋由美子の「ヴァージニア」がおいてありました。1970年の出版なのにピカピカだったので買ったものです。倉橋由美子も以前はよく読んだので懐かしいですね。

横田順彌

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文学全集の端本シリーズでも特集しようかしら?・・と思ったのですが、最近堅めの記事(本当かよ~?(笑))が多くなってるので今日は写真の本の紹介です。

ある年齢層の方にはおなじみの本でしょう。横田順彌「日本SFこてん古典(全3)」です。これはSFマガジンに1973年から1980年まで連載された、SFマガジンの名物エッセイでした。横田順彌・・ヨコジュンの出世作です。

このエッセイは古書店から日本SFの草分け的作品を発掘してきて、それを肴に毎回騒ぐ、という企画のエッセイでした。しかし纏められたものを見ると日本の古典SFについて概観できるようになっています。探偵小説がまだ推理、怪奇、SF小説の総称だったころの作品が主で、正確には2次大戦より前の探偵小説について広く書かれた物でした。

今から見たらたいした情報量ではないかもしれませんが、指針になる本がひとつとしてなかった国産の古典SFについてこつこつと足で探していくさまは、思わず「うんうん」と頷いてしまいます(笑)。いまでこそトンデモ本なんていう企画がありますが、それは横田順彌が最も早くに始めたことでした。

外国語に明るければ荒俣宏のような行き方もあったのでしょうが、そうではなかったことがこのエッセイをユニークなものにしています。どこからでも読めて、大変面白いエッセイですのでご一読をお薦めしたいのですが、アマゾンで調べたら絶版でした(残念です)。後の集英社文庫版もありますので図書館&古書でどうぞ。

付属として戦後初の本格的SF作品、今日泊亜蘭「光の塔」をあげておきます。べらんめえ口調で書かれた文章の面白い、本格的SF作品です。現在はハヤカワSF文庫で復刻されています。この作品もお好きな方には興味の尽きない作品です。写真は東都ミステリー版(昭和37)の「光の塔」、星新一と北杜夫の写真が若いです(笑)。

文字の無い小説

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旧角川文庫のメアリー・シェリー「フランケンシュタイン」には非常にグルーサムなモノクロの挿絵が付いていて、それは長い間、私の記憶に残りました。後にそれはリンド・ウォードという挿絵画家によるもので、ウッドカットによる彼の挿絵は英米圏で大変ポピュラーな、しかも本読みの人達に非常に人気のあるものだということを知りました。

今日はリンド・ウォードのたくさんある画業の中から代表作の「狂人の太鼓」と「神の人」の二つを紹介いたします。最近、ドーバーが廉価なリプリントを出版したので興味のある方はそちらの方を入手してみてください。また、「狂人の太鼓」は国書刊行会から日本版が出版されています。

リンド・ウォードの出世作「狂人の太鼓」は文字の無い小説といったらいいのでしょうか?黒人奴隷のもたらした太鼓にまつわる怪奇な因縁話がウォードの迫力あるウッドカットにより展開されてゆきます。現在では彼の絵本はコミックスに分類する人もおりまして、エルンストの一連のコラージュロマンとならんで、ミッシングリンクの一部を形成いたします。

写真の3番目は「狂人の太鼓」の原本の外観、残りはメアリー・シェリー「フランケンシュタイン」よりの挿絵です。また「狂人の太鼓」と「神の人」については下記のサイトでいくつかのプレートを見ることが出来ます。最近注目のトピックスとしてとりあげました。皆様はいかがでしょうか?(笑)。天才少女メアリー・シェリーについてはまた別の機会に採り上げようと思います。
http://www.beaverpond.com/Madman.html
http://www.beaverpond.com/GodsMan.html
http://www.beaverpond.com/Ward.html

翻訳のアクロバット

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皆様は神西清という翻訳家をご存知でしょうか?。作家兼詩人でありましたので小説や詩集なども出版していました。遠藤周作の師匠筋にあたる人で、遠藤周作は彼の推挙により文壇に出ることが出来ました。翻訳ではチェーホフ、プーシキン、ツルゲーネフといったロシア作家の翻訳が現在でも文庫の中に残されています。

神西清の翻訳でさすがにこれは参りました、というのが写真のバルザック「おどけ草紙」(穂高書房:1950)であります。ごく当たり前のことなのですが100年以上も前の外国作品を日本語にしようと思ったら、そりゃどうしてもそれだけで無理がありますよね(笑)。また、どんな手練れの翻訳家でも100年前の日本語で文章を作りなさいといったら、それは大変難しいことでできないといったほうがいいでしょう。

バルザックの「おどけ草紙」は300年前のラブレーの時代の言葉で作られた文豪苦心の作品であります。300年前の擬古文で書かれた作品でこんなことはいくらバルザックが文豪だといっても限度があります。バルザックはほとんど血の滲む様な苦労の末に「おどけ草紙」を完成させました。さてこれを日本語に翻訳するのはどうしたら良いでしょう?

神西清はこれを翻訳するのに天草本の「平家物語」や「伊曾保物語」(イソップ)などの切支丹文献に使われた言葉で翻訳することを思いつきました。ちょうど300年前の日本の古語です。はっきりいって無謀を通り越して神の所業といってもいいです。いくら文章が上手くても擬古文というのはたいへん不自由でまともに綴るためには恐るべき修練が必要です。

曲がりなりにも成功した事例というのはこの「おどけ草紙」ぐらいではないでしょうか?興味のある人はご一読を、現在、国書刊行会から復刻されています。余談ですが神西清の小説は現在全く新刊で読めなくなってしまいました。以前は「灰色の眼の女」(中央公論社:昭32)が入手しやすかったのですが・・。埋もれるには惜しいと思いますので書いておきます。
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